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簡介:太平洋に朝日が昇る。青森県六ヶ所村尾鮫沼表館から、縄文時(shí)代の誕生を顕わす1萬2千年前の土器が見つかった。青森県の縄文文化は、太平洋側(cè)から次第に県內(nèi)全域に広がり、各地に巨大集落を形成、一萬年にわたって続いた。最近発見された三內(nèi)丸山遺跡は、縄文前期から中期にかけての約1500年間の遺跡で、青森県には、このほか世界的にも高い水準(zhǔn)を誇る工蕓品を生みだした晩期の亀ケ岡文化もある。これらの遺跡群を通して、青森は日本列島に展開した縄文文化の一大中心地であったともいえる。小川原湖の周辺の湖沼地帯にはたくさんの縄文遺跡がある。小川原湖の湖底をボーリングし土のサンプルを採集した。採集した土の花粉分析をすることで、當(dāng)時(shí)の植性から、気候を推定することができる。地球が溫暖化していった縄文早期?前期には、実用的な道具としての土器や石器が多く出土する。寒冷化してくる中期になると、集落の規(guī)模が巨大化し、土器には人面が描かれたり、ヘビ、カエル、イノシシなど、生きものの姿が生き生きと登場して、自然に対する畏れや祈りが表現(xiàn)されている。縄目文様は縄文土器の特徴だが、縄を押し付けたり、転がして縄目を表現(xiàn)していたのが、この時(shí)期の土器では、縄そのものが力強(qiáng)く描かれている。縄文の人々は、縄に呪力を感じ、寒冷な気候を克服するために強(qiáng)固な共同體を形成しようとしていたようにもみえる。後期には、再び気候が溫暖化し、遺跡の規(guī)模は小さくなるが、遺跡の數(shù)は増してくる。そして土器は注ぎ口のついた土器、現(xiàn)代の香爐のような形をした土器などが登場し、現(xiàn)在の器の形がすべて出揃う。晩期になると、縄目文様が再び強(qiáng)調(diào)される。中期の縄目と違って、洗練されたデザインになっているが、全ての器に同じ文様が用いられ、デザインの統(tǒng)一性が強(qiáng)調(diào)されているようだ。再び寒冷化した縄文晩期に、縄にこだわった縄文人たち。撚り合わせれば大きな力を発揮する縄。それは共同體の原點(diǎn)を示しているのではないだろうか。…

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