1995年敬請關注!
簡介:私は、ずっと出口を探している。この日本を覆う空気、あらかじめ全てをあきらめてしまったかのような虛無、あるいは、そこから何も生み出しようもない、自分以外のモノへの思考停止の依存は何なんだろう? 高度資本主義の強迫から生まれた、拠り所を求めて浮遊する個? 確かにそうかもしれない。國家、會社、學校、あるいは家族という近代の物語が崩れていくと同時に個人の価値観が問われ始めた。私たちは漂っている。でも、拠り所なんていらないんだ、ということをなぜ、人は言わないのだろう?「大きな物語」はもう終わったのだ。自らコントロールできない物語など、私はいらない。自律した個人同士のミクロな関係性にこそ、出口があると思う。そして、そこからはじめて「私たちの物語」が始まるのだと思う。この作品の主人公、雨宮さんは、民族派右翼思想に救われたと言う。社會と自分の接點を見い出し、虛無からぬけ出せたと言う。でも、民族主義者の雨宮さんは、雨宮さんではない?!髁xを背負った途端に、人は自分を見失う。彼女は、ビデオカメラと向き合うことによってそのことに気づき始めた?!盒陇筏ど駱敗护稀ⅴ鹰钎幞椁蛲à袱骏偿撺濂衰暴`ションの映畫でもある。観て頂いたあなたと一緒に考えたくて、私は、この作品を作った。右翼、左翼、~主義など、どうでもいい。私が作ったのは、あなたに対する精一杯のビデオレターである?!?/p>